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しまむら映画(2016年) その8 そういえば誰がためだっけ(悩)

やっぱり森事件は面白い(しみじみ)
いろいろ考えてみると、しまむらの流血痛いよ事件(倒)も結構大事なのかもしれないのだった。

アレについては完全に幻想だった、ということが後から種明かしされている。
もちろん、フツーに考えれば、サイボーグ体が生身になるわけない……というか、なんか最近のなんとか細胞とかをベースに考えると、もしかしたらサイボーグよりずーっと簡単にできちゃうのかもしれない、という気はするものの(汗)それはそれとして、張々湖大人のいわゆる「目玉焼きは卵に戻せない」みたいな理屈を通したくなってしまうのだった(しみじみ)

が、現実には不可能だとしても、別に問題ないといえばない。
あのブレスドじいさんの力は、おそらくかなり長持ちするんだろうと思うので(悩)しまむらが思い込んでいる限り、しまむら視点では生身に戻ったままなんじゃないのかと思うのだった。

2回目は2回しか見ていない(倒)ので、あまりしっかりした記憶はないんだけど、ジェロさんはしまむらの流血を見ていない……という気がする。
が、もしかすると、しまむらがほんとーにその気になったら、意外としまむらに影響されて(悩)みんなにもしまむらの流血が見えちゃったりするのかもしれないのだった。で、写真では見えなかったり!おー(汗)<いいよ別に(汗)

痛い、というのはもっと簡単だ。主観ですむ。
サイボーグに感覚がないはずはないけれど、フツーの人間とは違うんだろうから、要するに忘れていた感覚がよみがえった、ということなのだろう。

とにかくしまむらはお嬢さんが「私、戦えない体になったの!」と言い、喜んでいる様子を見ているうちに、なんだかなしくずしにブレストじいさんの手を取り、同じ状態になってしまう。
やっぱりどうしてなんだろう、と改めて思うのだった。

お嬢さんが変わったから、ということは間違いない。
で、そこから最低でも二通りの考え方がある。

ひとつは、お嬢さんが「普通の女の子」となり、「お願い♪」したから、なんとなく逆らえなかった(倒)しまむらってそーゆーヤツだと思います(しみじみ)

もうひとつは、実はしまむらはお嬢さんがその気になったら、もー絶対逆らえない男だったのだ(汗)……みたいな。

後者の方が3至上主義者的には断然面白い……けれど、そういえばそうだったよ!とすぐに思いつく前例が見つからない(悩)

しまむらとお嬢さんの意見が食い違うことはそれほど多くはないけれど、でもそれが起きたときにしまむらがお嬢さんの言うなりになったりしたことがあったかなーと思うと(悩)

すぐ思いつくのは、お嬢さんが戦いたくない、と言ったとき。
ベトナムの辺りとか、海底ピラミッドのときとか旧ゼロ映画とか(倒)

逆に、超銀浜辺のパターンがあるにはある。
ちょっとずれるけど、お嬢さんが「私の目と耳が必要でしょ!連れて行きなさい!」と言うこともあるけど、あれは意見が対立ってほどのこともない。そもそも、しまむらはお嬢さんが戦うのはイヤだとは全然思っていないようなのだった(怒)

ただ、しまむらがお嬢さんの「戦いたくない」を説得するときのやり方は「でも戦わなくちゃいけないんだ!それじゃ、僕一人でいくからいいよ」とお嬢さんを置いて行こうとするヤツで、あれだ、小さい子がスーパーとかでだだをこねたあげくお母さんに置いて行かれてしまって大泣きするあれ(遠い目)お前どこで覚えてきたそんなこと(悩)<いやそこはあまり触れてやらない方が(慌)

お嬢さんが「私も連れて行って!」というとき、それはもちろん目と耳がどうこう、というのもあるけど、最終的には「ジョー、私はあなたと一緒にいたいの!」だと思う。なんかずいぶん違うのだった(怒)

当然だが、しまむらが戦うのをやめてしまったら「サイボーグ009」は終わってしまう(汗)
だから、いくらお嬢さんからの提案といっても、しまむらがそれに賛同するはずはない。それはそうだ。
ところが、この森事件ではそれが起きてしまったのだ。
幻想、の範疇なので、最終的には「サイボーグ009」をひっくり返すことにはならなかったけど(汗)そういうことになりかけたことはなりかけたのだった。

で、そーゆーなんかスゴイことを ここであえてやったのは何のためだったのだろう……と思うのだった。

お嬢さんは、実は戦いたくない人だった。普通の女の子に戻りたい人だった。
そんなことはしまむらには十分わかっていたはずだ。
が、実際、サイボーグが生身の人間に戻ることなど「ない」。それは選べない。
だから、おそらくしまむらはまじめに考えたことがなかったのだ。まー必要ないし(汗)

でも、それが「選べる」のだとしたら。
しまむらはそれを選択したお嬢さんをどうするのか。

お嬢さんは、しまむらを捨てる気はない。
しまむらと一緒にいたい、という思いはそのままだ。
だから、あなたも一緒に……と誘う。

これだけしまむらを長年踏み続けてきた私も、実際のところ虚をつかれてしまったのだけど。
しまむらは、とりあえずそのお嬢さんを拒絶はしなかった。

また、お嬢さんの異変を見たときにも、ジェロさんが二人の変化を見たときそうしたように「フランソワーズに何をした?!」とブレスドじいさんに迫りもしなかった。実は、私自身、1回目ではそこがぼんやりしていて、しまむらがブレストじいさんにそう言ったような気がしていた……ら2回目に見たら言ったのはジェロさんだった、ということがあったりする(倒)

たぶん、お嬢さんは「本当に嬉しい」と言った言葉の通り、本当に幸せそうだったのだ。文句をつけたくなるような様子ではなかったというか。
そして、サイボーグとして戦うことが「宿命」ではなく「選べる」のだとしたら?

……しまむらが考えたことのない問題だったと思う。

で、結果からみると、しまむらはとりあえず幸せなお嬢さんと一緒にいたかったらしい(驚)
ホントにいいのかそれで?(汗)というくらい、しまむらはとまどいながらもお嬢さんに従順だ。

ジェロさんは、選ぶ必要などないのだ、といった。その通りだ。
でも、それはサイボーグにされちゃうと元に戻れないから選ぶ必要はない、という意味ではない。
お嬢さんもしまむらも、そこまで考えていなかった……ということなのだろう。でも、考えなければならないのだ。

お嬢さんは戦いたくない。そしてしまむらと一緒にいたい。
だから、二人で生身の人間として生きることを望んだ。

――しまむらは?

対立も何も、そもそもここでのしまむらは自分が何を望んでいるのかがわからないように見えるのだった。
ただ、お嬢さんが望むことが自分の望み、ということだけはわかっている……ように見える。

おいおいおい(汗)と思ってしまうのは、これが「サイボーグ009」という番組だからだ。
立場を逆にすると、お嬢さんって、実はいつもこういう風にしてしまむらについていったんではないのか?(悩)とも思うのだけど。

もちろん、番組の都合上、いつもお嬢さんの立場は否定される。
でも、今回は番組がこういう特殊な状況を作ってくれたのだ。50年に一度の珍事!

で、番組の都合を抜きにした場合。
お嬢さんを愛しているから、普通の人間として生きたいお嬢さんに無条件でついていく……という選択そのものは、実はしまむらにもアリ、なのではないかと思うのだった。

さらに事態は進む。
それでも、よーーーく考えてみると(倒)しまむらはやっぱり009として戦いたいらしい。
……だけど、できない。

それは、まるでいつものお嬢さんのようだ。
お嬢さんは戦いたくなくても、サイボーグであるがゆえに戦わねばならない。
このしまむらは戦いたいのに、サイボーグでないがゆえに戦うことができない。

そして。
私たちにわかるのは、お嬢さんが撃ち抜かれたときしまむらの力が戻った、ということ。
しかし、しまむらはこのとき「僕は戦う!」とか「僕はサイボーグだ!」とか、そういうわかりやすい意志表明をしなかった。

その代わり、後になってお嬢さんに決定的な告白をする。

「初めて加速装置がほしいと思った」ちょっとうろ覚えです。

……待て。
ちょっと待ってしまむら(汗)

お前もしかして50年以上サイボーグやってて、今……今、初めて「加速装置がほしい」って思ったってこと????(驚)

……ということなのだった。

しまむらはこれまで「しかたがないから戦う」と意識していた。
それは、自分にしかできないことだから。

実のところ、しまむらたちの戦う理由は、建前としてはいつもそこにある。
この作品の中でも、その言葉は何度か繰り返されたと思う。

仲間たちも、お嬢さんもそう思っている。
ただ、その思いの強さが少し違ったり、性質が違ったりはするけれども、個性の違いで説明できる範疇のことだろう。

が、今、しまむらが言ったことは、それとは違う。
しまむらは、加速装置がほしかった。使いたかった。
自分のために
それを望んだ。

お嬢さんを助けるためだから、自分のためではないと言い張ろうと思えば言い張れる。
でも、しまむらはそうしない。自分の欲求として「加速装置がほしいと思った」と言ったのだ。

…………。

お嬢さん。
すっげーわかりにくいですが、たぶん、コレが初めて、ほんとーに初めてのコイツからの愛の告白ってヤツだと思います!!!!あーわかりにくいっ!(踏みっ!)

……ってことで。

話は、やっとスタート地点につくのだった!え(汗)

つまり。
お嬢さんの望みが勝つか、しまむらの望みが勝つか!?

……圧倒的にしまむらなのだった(倒)

ってか、時間を巻き戻されてはどーしよーもない(怒)フツーそこまでするかてめー!(踏み!)

時間の巻き戻しなんてあるわけがなく、この作品の中でもそうなっている。
だから、なんだかわからないまでもそれが起きてしまったのなら、作品の中にある者は絶対に逆らえない。従うしかない。それは神の仕業に等しい。

が、お嬢さんもただ負けたわけではない。
しまむらが自分の、ただ自分のためだけの欲求として「戦いたい」と思うのは、「大切な人」=お嬢さんを守るためなのだ。ただ、それだけが彼の欲求なのだ。それが明白になった。ってか、神の意志もそれを後押しするのだ(悔

ってことは。
あの、番組その言い方やめれ(汗)のテーマ「JUSTICE」はどーなっちゃうのか(悩)

えと。
人類のために戦うとか言ってたヤツの本音は、よーするにてめーが惚れた女を守りたい、ってことだけのようなんですが。

そんなんでいいんですか人類???(汗)

でも、もしかすると、それでいいんじゃないか……と思うのだった。
と、いうのは。

井上さんもといエンペラーとしまむらの違いは、実のところそこしかない……ような気がするからで。

エンペラーは「人類のために」計画を進めていた。
彼は実際、三千年ぐらいそーゆーことをしていたらしい。

彼は自分がそうしたかった、というより、そうしなければならなかった、と思っているようなのだった。
それができるのは自分だけだから人類を破滅から救わねばならない、と思っていたのではないか。

ってことは。
人類を救うために、それができるのは自分たちだけだから戦わなければならない、としているサイボーグたちも、それだけではエンペラーと同じなのではないかと思うのだった。

カタリーナさんがエンペラーの計画を阻止しようとしたのは、それが人類を救うという目的に対して効果がない、と判断したからだった。これも自分のためにそうしたいというのとはちょっと違う。
一方、しまむらたちがなぜエンペラーの計画を阻止しようとしたのか、というと(悩)
もしかすると、単に、

そんなのはイヤだ!(俺が!)

と思ったから……だけ、だったのでわ(汗)

エンペラーやカタリーナさんは、そういう心の動きを「感情」といい「愚かだ」という。
たしかにそうだ。
ただ自分がイヤだとかイヤではないとか感じたりするためだけに、なすべきことができなくなるのはいろいろ不便で非効率的だ。

……でも。

ただ自分がイヤだからイヤ!というコトが何もないまま行う「正義」は、何か危ないような気がするのだった。
もちろん、自分がイヤだからイヤ!というコトだけを根拠に「正義」を振り回されるのはもっと危ないけれど。

しまむらの場合。
加速装置、すなわちサイボーグの力を振るい戦うのは、基本、人々のためであり、自分の欲望のためではないと思っている。だから正義といえる。
しかし、それが正義として本当に完成するためには、その一番奥底にたった一つ沈んでいる「自分の願い」が必要なのではないかと思うのだった。

その願いは常に自分とともにある。
生きる限り、生きる力の源としてある。
事象の果てとかいう、よくわからないトコロに一人取り残されたとしても、自分がいればその願いはあり、その守りたい人とつながることができる。
だから、しまむらは孤独に耐えられる。
正確に言えば、耐えられるのではない。彼は孤独ではないのだ。

REのトモエちゃんもそういう存在だった。
全てが死に絶えた廃墟に立ち、微笑む少女。
それがしまむらの心の奥にいつもある。
彼女のために彼は戦い、生きる。

その守りたい人、大切な人、しまむらがただひとつ持つ自分のためだけの願いは、一応(倒)お嬢さんなのだが、お嬢さんという個体である必要は、本当はない。だからトモエちゃんが存在し得る。でも、彼女はお嬢さんでもあるのだ。しまむらにとって、お嬢さんとはそういう存在だ。

もちろん、REのしまむらも、トモエちゃんだけでは生きていけない。
空から落ちてきた(倒)お嬢さんという一人の現実の女性を得て、しまむらは009となる。
森事件も、それに似ている。

しまむらが戦いを「自分の望み」として選ぶためには、お嬢さんが必要なのだ。
自分の望みがそのままお嬢さんであるというそのことが、しまむらの愛の形だといえる。ほんとめんどくせ−(怒)

ただ。
森事件を振り返ると、そういうきれいな(?)結論だけではすまない、という感じもするのだった(しみじみ)

結局、捨てられてしまった……負けたお嬢さんの望みはどうなるのか、と考えずにいられないのだった。
人間として生活し、しまむらと暮らしたいと願ったお嬢さんの望みは、ほんのわずかな時間、実現した。
それを砕いたのはカタリーナさんたち(倒)の攻撃だ。だから、お嬢さんの怒りもなんというか、しまむらより強いんだろーなと思う。

が、それは八つ当たりに近い。
本当に、お嬢さんの望みを砕いたのはしまむらなのだ。

生身になったしまむらは、生身の恋人がそうするように、何より大事なものとして、お嬢さんを身を挺して守ろうとした……けれど、いつまでもそうしていたわけではなかった。
彼はほどなくお嬢さんの傍らから去り、銃をとる。
しまむらは、やっぱりお嬢さんより戦いを選んだのだ。

しまむらに「逃げろ!」と言われ、一人小屋から脱出し、走るお嬢さんは悲しい。
絶望的に悲しいのだった(しみじみ)

たしかに時間巻き戻して、なかったことにでもしないと、どーにもならねーよなてめー(怒)>しまむら

お嬢さん、それでいいんですか???
コイツはそーゆーヤツなんですけど、それでいいんですか???
私たちは戦う運命にある、とか、なんかだまされてませんかお嬢さん????(涙)

でも、その絶望をお嬢さんが受け入れることで、しまむらの愛も正義も完成するのだ。
お嬢さんがそれを受け入れなければならない合理的な理由などどこにもない。
お嬢さんは、たとえどんなに不条理でも、ただそうしたいと思うからそうするのだ。

完結編ラストのお嬢さんを思い出すのだった。
完璧な幸福が待つ世界と、死。
前者にはしまむらがおらず、後者にはいる。ってか、しまむらしかいない。ほんとーに他には何もない。
お嬢さんは、何の躊躇もなく後者を選ぶ。
選ばれる当のしまむらさえ、それは合理的ではない、と思う。でもお嬢さんは選ぶ。

森でお嬢さんは言った。
戦いを捨てれば、私たちはもっと幸せになれる……と。

その通りだ。
でも、しまむらは幸せを選ばない。
そしてお嬢さんは幸せよりもしまむらを選ぶ。

…………。

今に始まったことではないけど、だからこそムカつくのだったっ!!!!!!踏みまくりだーーっ!