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93ファンタジー(しみじみ)
私が「サイボーグ009」というかお嬢さんを好きになったのは思春期のはじめの頃で、思えばそれから私が変わるに従って、お嬢さんへの目線もかなり変わってきたと思うのだった(しみじみ)

お嬢さんにはどーしても主人公しまむらがくっついていて、ソレが邪魔でしょーがない(怒)こら(汗)のは変わらないけれど、でも、やはり年寄りになってくると、なんというか遠慮(?)がなくなってきたような気もする。

端的に言えば、なんだかんだいってステディがいないのはきっとお嬢さん寂しいよね……しょーがないよあんなのでもいないよりはいたほうがいいんだきっと(嘆)と思っていたのが、いや、別に必要なかったでしょ!いらないから!ホント!<しまむら

……という感じになってきたのだった。

思えば新ゼロだとしまむらがたしか18歳か19歳でお嬢さんが17歳だった……はず。超銀は年齢が上がったとはいっても、20代になってる、ぐらいな感じだったし。

若いよなー(しみじみ)いやそんなところでしみじみしても(汗)

もっとも、少年サンデーあたりの原作では、お嬢さんたちもどこか微妙に年をとり、熟年夫婦っぽい感じになっていて、そこがまだ10代だった私には目新しい感じがしていた……のも、自分が熟年になってしまえば、それはそれでなんというか特に目新しくもなかったり(悩)

たしか超銀のとき、石ノ森さんが「この年になると女性のいろいろな面がわかってきてそれも楽しい」みたいなことを言っていたと思うんだけど、その石ノ森さんだって、今の私よりはずーーっと若かったのだ(しみじみ)

そんなかなりダラけた感じだったところで見たREのがんばってる(倒)93や、デビルマン映画のちょっとぎこちない93はやっぱり新鮮なのだった。
新鮮で、これまでとはかなり違うんだけど、やっぱり93に見える……ってところもよかった。

そもそも、「009」自体がそうだといえば身もふたもなくなるが、新しい作品が作られるたび、この人たちは全然テイストの異なるカップルになっていた……ように思う。
それでも、どこかに共通点があるのが奇妙なのだった。(しみじみ)

改めて思うと、その共通点……93らしさというのは、二人の間で言葉による男女としての表現がほぼ皆無、というところにあるような気がする(悩)
それでいて、誤解やすれ違いはない。
そこがわけわからないのだった(しみじみ)

そういう意味では、いろんな設定がてんこ盛りだったREでも、駆け足で通り過ぎた感じのデビルマン映画でも、二人の間に誤解やすれ違いや感情の齟齬はほぼなくて、なぜかお嬢さんはしまむらをいつでも完璧に理解できている、という感じの言動をとるのだった。
おそらくしまむらもお嬢さんを理解しているんだろうけれど、彼がそういう行動をとる必要がたぶん物語上にないので(倒)そこははっきりしない。

ついでにいうと、この人たちは、それだけ完璧に理解しあっているのに、いや、だからこそなのかもしれないけれど、お互いがお互いを理解しているという自覚すらないのだった(倒)

完結編では、お互いに恋人ができたりして、お嬢さんも意識的にしまむらを忘れよーとしたりしていた。
問題は、そうした「裏切り」そのものにあるのではない。なぜか、完結編の93は、うっすらとではあるけれど、お互いがお互いを恋人……かも?(悩)と認識し、自覚しているようなところがあって、それゆえに微妙な違和感があるのだと私は思う。

それでも、話が進んでいくにつれて、だんだんそうした違和感も薄れていく。
やがて翡翠さんとアランくんが退場(倒)し、そうなるとなんというか、何事もなかったかのようないつもの93になってしまう……のだった。小野寺さんほんとお疲れ様だったのでした(涙)

そう思うと、完結編ラストで、しまむらがお嬢さんに「生まれ変わったら何になりたい?」とわざわざ聞くのは、まあすれすれおっけーとして、お嬢さんは、ああいうわかりやすい言葉で返事をしてはいけなかったのかもしれない(悩)

私としては、ほんのり頬を染めつつ、

……カモノハシ。

ぐらいの返事をしてほしかった(しみじみ)無茶いうな(汗)
ナマケモノでもツチノコでもミシシッピアカミミガメでもなんでも同じことなんだけど(遠い目)

そしてもちろん、しまむらはそのお嬢さんの返事に満足そうにほほえむのだ!ニッ♪とか(汗)

全然わからないけど(悩)とかく誤解が渦巻き、深くて暗い川に隔てられているらしい男と女の間に、そういう怪しいファンタジーなのか?(悩)があってもよいように思うのだった(しみじみじみ)