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しまむら映画(2016年) その1 ダベンポートさん |
まさかと思っているうちに(?)しまむら映画が公開されて、しかも見に行ってしまったのだった!(踊)
……ってことで第一話のネタバレです(しみじみ)誰も読んでないからだいじょぶ(汗)
まず、フツーの自動車がぐんぐん走るのだった。
おお、フツーの自動車!とか思っているうちに、フツーの自動車は曲がって、農家風の家について、それがしまむらたちの家らしい。
おりてきたのが、ダベンポートさん!
家では、お客さんをお迎えするために、お嬢さんがコーヒーをいれて、ついでに2とか4とかに「お行儀よくしていてね(怒)」とキビしく釘を刺すのだった!(踊)
なんか前にも困ったことがあった……というような感じで、ちょっとわくわく♪
そしてっ!
ここでお嬢さんのフトモモがっ!!!!!!!
どーも、今回の映画ではCGがイマイチ、という前評判を聞いていたけど、たしかにイマイチなのかもしれないのだった(しみじみ)
が、なんかそんなことはかなりもうどーでもいい感じになるよーなお嬢さんのまぶしいフトモモがひたすら画面をよぎりいや絶対嘘だそれ(汗)お客さんとギルモア博士の前にコーヒーを置き、コーヒーはトレーに残り一杯。
……でもって、その先にはしまむらがっ!!!!(怒)
てめーこのやろー、フザけんなしまむら(怒)
……と、むかむかしているうちに、なぜかお嬢さんはしまむらをスルー♪
………アレ?(汗)
で、ダベンポートさんのお話が始まる……ので。
あの最後の一杯はどこへいってしまったのか(悩)
と、まずここで考え込むのだった!(踊)別にいいからそれ(涙)
でも、気づけばお嬢さんはいつのまにかソファでしまむらの隣に座ってて、コーヒーもちゃんとしまむらの前にあって、しかもあのフトモモがどーもしまむらにくっついているよーな感じなのだった(怒)
ちょっと待ってたしかCGだとモノがくっつくときの描写がうまくいかないとかそんなこと前言ってませんでしたっけ違いましたっけ(悩)もー無理しなくていいんです離してやってくれませんかホント(怒)
と、悶々としているうちに、話はどんどん進み。
ダベンポートさんは、写真を見せつつ、これは何年のどこで撮って……みたいな説明を続ける。年代と場所をつなげると、原作を順々にたどっている感じになる。
最後はアレかも、時空間漂流民事件のニューヨークなのかな(悩)
で、写真にうつっているしまむらたちが年をとらない、ということにふれ、どういうことなのか、と迫るのだった。
たしかに。
私は慣れてるけど(こら)おかしいもんな、これ(しみじみじみ)
ダベンポートさんに応え、しまむらがこれまでのあらすじ(倒)をざっくり語り、ギルモア博士もまた、引退劇の話をしたりするのだった。ここはREの前、ってことになってた石森プロまんがに準じている感じで。
ってことで、ダベンポートさんはREの事件にも触れる。
出てきたのはあの戦闘機にしがみついているしまむらとジェッたんの写真!
たとえば、あのしまむら3年リセット設定はどうなるのか……と思ってしまうけど、ダベンポートさんは結局のところ、年と場所しか語っていない。
たまたまわかっている人は、原作のアレと同じ、映画のアレと同じ……と思い、従ってうっかりすると、だからREの世界と原作の世界とこの映画の世界がつながっていると考えてしまいがちだが、それは錯覚にすぎない。
写真にうつっているしまむらたちのコスチュームは全て今回の映画のモノだし、もちろんしまむら3年リセットもなさそう……ってことは、これまでの世界とコレがつながっていると考えること自体がおかしいということになる。
あえてそういう錯覚を起こさせるような話をダベンポートさんに語らせているのは、作品としての一種の遊びなのかもしれないが、むしろ、ディープでコアな(笑)ファンにだけわかる「ズレ」を表すことによって、ここはこれまでの009とは異なる全く新しい世界なんですよ、とさりげなく設定を語っているということだと思う(しみじみ)
009完結編を古文書のように読む、とおっしゃった方が前にいたけれど、たしかに009のひとつの見方として、よくわからない古代伝説を追う!みたいなやり方があるのかもしれないなーと思うのだった。だいたい同じようなんだけど細部がちょっと違う説がいろいろ出てくる、とか。平家物語の異本みたいな(悩)
でもって、ダベンポートさんはRE……らしい事件のうち、一番ツラいところを突く。
言わずと知れた、ドバイの核攻撃事件(涙)
ここでしまむらが比較的おとなしいのに対してお嬢さんが激しく反応するのがいじらしいのだった(涙)いいのにお嬢さん、だいじょぶですよ、ソイツ結構ぼんやりしてるんだから<こら(汗)
ここに至り、ダベンポートさんは「ごめんなさい」と謝る。実は、しまむらたちが本当に正義の味方なのかを自分で確かめたかったからこんな話をした……というのだった。
この映画で面白いなーと思うのは、もとは何も知らない一般人が、しまむらたちを調べて、不思議な力を持つ正義の味方グループらしい、と結論し、その上で助けてほしいと依頼にくる、という形なのだった。今まで、ありそうでなかったと思う。
しまむらたちは、基本、自分から勝手に事件に踏み込んでいくか、もしくはいつのかにか巻き込まれる(涙)人たちだから、こんな手順を踏んで話が始まることはまずない。少年サンデー版の「さらばネッシー」では似た場面があったけど、あの場合、依頼人は助けを求めてきたのではなく、そもそもあまりよろしくない人だった(しみじみ)
ダベンポートさんはよろしくない人ではない(たぶん)
形としては、神々との闘いの小松玲子さんに似ているようだけど、小松さんは自ら助けてほしいと依頼にきたのではなく、お父さんが亡くなった現場にたまたま(倒)3と9がいたので、なんというか、なりゆきでいつのまにかしまむらと接触している感じ……なのだった。むしろ、しまむらたちがサイボーグだとは知らない……のかも。(悩)
で、この1話で、ブレスドと次々に接触し、戦いつつ、いつのまにかしまむらたちはダベンポートさんを守り続けるし、これまたいつのまにかダベンポートさんもしまむらたちを信頼しているのだった。
ダベンポートさんがしまむらたちを探したのは、父親が遺した謎の箱がギルモア博士とイワン・ウイスキーにしか扱えないものらしい……のが主な理由だろうが、彼らが正義の味方であると信じたから、というのもある。
映画のタイトルに「正義」があるけど、まずここでソレが出てくるのだった。
しまむらは、ダベンポートさんの正義と自分たちの正義は違う、と言う。
そして結局のところ、この1話が終わるところでも、誰とどう戦うのか指針すらたてていない。
しまむらたちは、どういうことなんだろう……と考えているうちに、次々に攻撃され、罠にはめられ、家を追われてドルフィン3号で飛び立つのだった。
たしかにしまむらたちはかなり一生懸命戦ったけど、これは正義の戦いではない。
正義の戦いはこの先にあるのか、それとも結局ないのか(悩)
で、正義かどうかはともかくとして、ダベンポートさんを懸命にかばって戦うしまむらたちに、ブレスドの人は問う。なぜ、初めて会ったばかりの女のために命をかけるのか、と。
それに答えるのはお嬢さんだった。
困っている人を助けるのは当然のこと、と。
…………。
あまりにシンプルなのでぼーぜんとしてしまうのだけど(汗)
でも、ようするに、そういう人たちなんだよな、しまむらたちって(しみじみ)
と、なんだか安心してしまうのだった(しみじみじみ)
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