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 形見



「カタリーナ・カネッティ」

ごくシンプルな石碑に、生没年と「ガーディアンズの誇り高き戦士」という言葉が刻まれている。
そう記すように本人が言い残したとは思えない。イガラシの心遣いなのだろうとフランソワーズは思った。

イガラシはどこまで知っていたのか。
007が彼とルーシーを救出したとき、それまでに起きたことのほとんどを伝えたと言っていたから、少なくともカタリーナがブレスド・リンカーであったことと、最終的にはサイボーグたちにエンペラーの計画を教え、彼に反旗を翻したこと、その後ドルフィンを降りたこと……はわかっていたはずだ。

あの島に残された戦闘の跡は、壊れた壁や折れた柱……そして彼女の遺体だけ。
彼女を殺したのは、あの状況から考えればゼロゼロナンバーサイボーグしかありえず、でもそのように手配されていないということは、イガラシは自分たちを信じ、かなりの努力をしてくれたのだと思う。

彼女の碑の隣には、あの研究所でウイルスによって亡くなった兵士たちの碑も並んでいる。
亡骸については001が「消した」と言っていたから、これもおそらくイガラシが遺品などを集めて弔ったということなのだろう。

「……あなたは、003!」

足音には気づいていた。
姿を隠そうと思えばできたのにそうしなかったのは、やはり彼の話を聞いてみたかったからなのだ……と、フランソワーズは思った。

「こんにちは」
「よくここがわかり……いや、つまり」

フランソワーズは微笑んでイガラシの言葉を遮った。

「ええ。……私にはわかります。知ろうと思いさえすれば、たいていのことは」
「……あの、彼らは」
「みんな無事に戻ってきました。犠牲になったのはカタリーナだけ。ごめんなさい。私たちは、彼女を守れなかった」
「あなたたちに守ってもらおうと思うような女性ではなかった。おそらく、彼女は自分からそうすることを望んだのでしょう。私は……身勝手は承知ですが、彼女が人類を滅ぼす計画の実行者として何百年も生きるより、こうなる方が幸せだったように思えてならないのです」
「……」

そう言い切るだけの強さは自分にはない。
フランソワーズはぼんやり思った。
彼女は……幸せだったのだろうか?

「発見されたとき……彼女は本当に静かに眠っているようだった。あんなに安らかな表情の彼女を、私は知らない」
「……そう……ですね」

あのとき、彼女が最後に感じたのは彼だけだった。おそらく。
それなら……たしかに、安らかだったのかもしれない。

「あなたが、彼女の最期を看取ってくれたのですか」
「はい……いいえ」

フランソワーズは思わず口ごもった。
看取ったというなら、彼になる。

「彼女は、最期まで本当に気高くて勇敢な女性でしたわ」

それだけ言った。
本当にそうだったと思う。

「イガラシさん……ガーディアンズはあれからブレスドを追っているんですか?」
「いや……このことを知っているのが俺とミズ・ダベンポートだけ…というのは正直荷が重いことではあるが、結局、彼らのほとんどは今回の計画に荷担しなかった。本来、彼らは人類に仇なす存在ではないのかもしれない……少なくとも、今そう断定する必要はないと思っているところです」
「そうですか……それを聞いて安心しましたわ」
「あなたがたは、彼らと戦いたくないと……思っていたようですからね」

フランソワーズは曖昧にうなずいた。
正確に言えば、戦いたくないのではなく、戦うには理由が必要だと思っていただけだ。
少なくとも、自分以外のメンバーは。

「そうだ。ここであなたに会えたのは、そういう運命だったということなのかもしれない。……これを、受け取ってはくれませんか?」

イガラシはポケットからごく小さな紙包みを取り出し、フランソワーズに差し出した。
戸惑う彼女に、イガラシはすまなそうにしながらも手を引こうとはしなかった。

「カネッティ中尉の部屋から見つかった遺品です。もっとも、彼女がこれを身につけている姿を見たことは、少なくとも私にはありませんでしたが」
「……遺品?」

受け取り、そっと紙包みを開くと、金色の細い鎖が光った。
その先には、ややくすんだ金色の小さい環が二つ。

「指輪……かしら?」
「ええ。おそらく、結婚指輪ではないかと。……大きさが少し違う」
「……本当だわ」
「彼女の両親のもの、でしょうか」
「……」

たしかに、指輪はかなり古びたものだった。
裏側に字が彫ってあるように見えるが、よくわからない。

「でも。……それならむしろ、これはイガラシさんがお持ちになっていた方が」
「それが私の責任でもあると思っていましたが、こうしてあなたにお会いしてみると、どうしてか、彼女はあなたに持っていてもらうことを望んでいるような気がしたのです。少なくとも、あなたは彼女にとても強い印象を与えたはずです」
「……それは」

それなら自分ではなく、009のはず。
そう言いかけて、フランソワーズはきゅっと唇を結んだ。
もしこれが彼に遺されるべきものであるなら、それを彼に届けるのは自分の役目。
そう、思った。

「……わかりました」
「ありがとう。……では、お元気で」
「イガラシさんも」
「ええ」

敬礼しかけたのを思い直したようにやめ、軽く会釈するイガラシに、フランソワーズも微笑んで会釈を返した。

――これで、帰らなければならない理由ができてしまったわ。

「つまり、そういうことなのかしら……カタリーナ?」

イガラシの後ろ姿が遠ざかるのを見送りながら、ふとつぶやく。
もちろん、答はない。
それは答えるまでもないからだと、彼女は言うのだろうか。




迎えの小型艇を操縦しているのが009であることは既に「見」ていた。
見ておいてよかった、とフランソワーズは思った。心を落ち着けるための時間をとることができる。

「おかえり。荷物、それだけ?」
「ええ。ほとんど送ってしまったから」
「たしかに。ジェロニモが毎日黙って取りに行ってたよ」

屈託なく笑う彼が纏う空気は、ほんの数時間買い出しに出かけた仲間を迎えにきたような気楽さ……だが、実際のところ、それが彼の正直な実感なのだと思う。

「元気そうね。よかったわ」
「うん。単純なダメージだったから処置も楽だったって、博士と001が言ってた」
「……そう」

こともなげな009の言葉に、フランソワーズは、あの一瞬垣間見た「空間」をふと思い出した。
彼にとっては、あれも日常の一部で、特別なことではないということだろうか。
あの空間のさらに「果て」で過ごしたことすら、彼には何のダメージも与えない、ということだろうか。

「君は……ゆっくりできた?」
「え、ええ」
「そうか。よかった……我慢した甲斐があったな」
「我慢?」

聞き返すと、009は少し慌てた様子になり、いや、別に責めているわけじゃなくて……と言い訳を始めた。

「やっぱり君がいないとだんだん空気が重くなってくるっていうかさ……なんだろ、今だって、ジェットにたたき出されたみたいな感じだったんだ。さっさといけ、アイツの気が変わらないうちに引っ張ってこいって」
「ジェットが?!」

驚いてつい声が大きくなる……と、009も驚いたようにフランソワーズを見た。

「どうかした?」
「いいえ。それじゃ、ジェット、まだいるってことね?」
「まだいるも何も……君の無事を確かめるまでは動けない、とかさ、もう大変だった。いらいらして僕たちに当たりちらして……」
「まあ。まさか」
「彼、口は悪いし、そうは見えないかもしれないけど……君を本当に大事に思っているんだよ」

どう答えたらいいかわからない。
それほど009は淡々と、むしろ楽しそうに語っていた。

「彼だけじゃなくて、みんな、君をすごく待ってた……さんざん質問されたし、答えられないのはどういうことだって、ずいぶん責められたんだ」
「え……何を?」
「どうして、君があんなことをしたのか……ってこと。イワンはだんまりだし、弱ったよ。僕にだって君が高層ビルから落ちてきたってことしかわからなかったのに、そう言って聞くようなみんなじゃないだろう?」
「どうして……って」

フランソワーズはうつむいた。
どうして、と言われたら自分でも説明がつかない。

009の言い方だと、あのときの状況さえイワンは誰にも何も伝えていないらしい。ということは、彼女自身で話せ、ということなのだろう。なぜ彼がそう考えるのかはわからないけれど。

「泊まっていたホテルが火事になって、屋上に避難していたの。そうしたら、フェンスを乗り越えて飛び降りようとした女性がいて……助けようとしたのよ」
「で、君の方が落ちてしまった……ってことかい?」
「……ええ」

沈黙が落ちる。
ちら、と覗いた009の横顔は無表情としかいいようがなく。
怒っているわけではないようだが、機嫌がいいというわけでも決してなさそうだった。

「もちろん不注意だったし、情けないと自分でも思ったわ。ううん、はじめから私の力では無理だったのかもしれない……でも、放ってはおけなかった」
「うん。……君は間違っていなかったと思う。でも」
「でも?」
「遅いよ、僕を呼ぶのが」
「……え?」
「間に合わないかと思った。……怖かった」
「……」

遅い、と言われても。
彼が消えてから、毎日のように、どれほど彼を呼んだだろう。
フランソワーズはきっと向き直り、009をにらみつけた。

「何もかも私が悪いように言うのね?いくら呼んでも応えてくれなかったのは、あなたの方じゃない」
「まさか。そんなことはありえない。僕が、君に応えないなんて」
「でも、そうだったわ!」
「ありえないよ」
「……お話にならないわね」
「フランソワーズ……怒ったのかい?」
「ご想像におまかせするわ」

そもそも、こんな再会の仕方があるだろうか。
あのときも、今も。

――怖かった、だなんて。

あなたは、自分が私に怖い思いをさせたことなどない、とでも思っているのかしら。
何度、あなたを見送ったか、もう数えられないわ。
何度、あてもなくあなたを待ったか……

「君は……もしかしたら、あのまま死ぬつもりだったのかもしれないと、後からずいぶん思った。もしかしたら、君は僕を呼んだんじゃなくて、最期に僕を思い出してくれただけだったんじゃないかと……」
「……カタリーナのように?」

どうしてそう言ったのか、フランソワーズは自分でもわからなかった。
ただ、一瞬、強くその名が浮かんだ。その衝動を抑えられなかった。
案の定、009はあっけにとられたように彼女を見た。

「カタリーナ?」
「最期に、あなたの名前を呼んだわ……彼女」
「……彼女と、君は違う」

それだけ言うと009は口をつぐみ、二度と開こうとしなかった。
フランソワーズはひそかにため息をつき、目を閉じた。

鉛のように体が重い。
こんなに疲れていたんだわ……と思った。




エンジンを止めても、目を覚まさない。
彼女の胸が規則正しく上下していなかったら、どうしようもない不安に襲われていたかもしれない。
そう思いながら、それでも彼女の眠りを妨げないようにと、ジョーはできるだけ静かに彼女を抱き上げた。

仲間たちが来る気配はない。
到着には気づいているはずだから、遠慮しているのだろう。

フランソワーズのあどけない寝顔がジョーはいつも好きだった。
が、今はそれが少しだけ苦しい。

――私、戦えない体になったの。

あの、森で見せた彼女の晴れやかな微笑。
今、このままの彼女が目を開いたら、あのときのように微笑むのではないか。

彼女を疑ったことなどない。
疑ったりしたら、それだけでこの世に居場所がなくなってしまう自分だということをジョーはほとんど本能で知っていた。

彼女は、いつも僕の側にいる。
僕は、いつも彼女を守る。

彼女が戦うことを嫌っているのも、サイボーグである体をいとわしく思っているのも知っている。でも、彼女は戦い続ける。僕から離れることなどない。
そう思っている。思っていた。

あのとき、何が起きたのだろう。
僕は、本当はあのとき彼女を失ったのだろうか。
そうなのかもしれない。彼女は知ってしまった。本当の僕を。

ずっと、隠していた。
僕の本当の望み。
それを知ったら、彼女は僕から離れてしまう。
だから、ずっと隠していたのに……

身じろぎする気配に、ジョーははっと顔を上げた。

「……ジョー?」
「ごめん。起こしてしまったね。着いたよ」
「……」

なんとなく、彼女の顔を見られない。
ジョーはさりげなく彼女の頭を支えるように胸に押しつけた。

「歩けるわ」
「うん。でももう部屋だから」
「……荷物は」
「持ってる」

肩にかけた小さいバッグを軽く揺すってみせると、フランソワーズはそっと手を伸ばした。

「どうした?」
「思い出したの。あなたに……渡さなければならないものが」
「後でいいよ。とりあえずちゃんと眠った方がいい」

部屋に入り、ベッドに座らせ、バッグを手渡してそのまま立ち去ろうとしたジョーをフランソワーズは引き留めた。

「待って……今、渡したいの」
「……」

真剣な声音に、はぐらかすことのできないものを感じ、ジョーは向き直った。
彼女がバッグから取り出したのは、ごく小さい紙包みだった。
手渡され、開いてみると、二つの指輪を通したネックレスがさら、とこぼれ落ちた。

「……これ?」
「カタリーナの遺品だそうよ」
「……」
「イガラシさんから渡されたの」
「イガラシさんに会ったのか?……どこで?」
「カタリーナの……お墓で」
「……フランソワーズ?」

ぽつりぽつりと続く彼女の話にじっと耳を傾けていたジョーは、やがて小さくうなずき、無言でフランソワーズの手をとった。

「ジョー?」
「これは、君が持っているべきものだ」
「え……でも」
「イガラシさんもそう言ったんだろう?君に持っていてほしいと……僕に渡すのではなく」
「え、ええ。……でも、彼はあのときのことを知らないから」

――ジョー。忘れない。あなたを。

「あのとき……か。つまり、彼女は最期に僕の名を呼んだ。彼女にとってそれが一番大事なことだったから……そういう、ことかい?」

強くうなずくフランソワーズをジョーは引き寄せ、抱きしめた。

「違うよ。君は、わかっていない。フランソワーズ」
「ジョー……?」
「あのとき、たしかに彼女は僕の名を呼んだ。……でも、それだけだ」
「え…?」
「彼女の声に、言葉に、僕の名に、意味をつけてくれたのは君なんだ、フランソワーズ」
「……」
「これも、ただのネックレスにすぎない。彼女が持っていたときも……僕が持つとしても。でも、君は違う。君が、君だけが、これに意味をつけることができる」

そうだ。
そうやって、君は僕のすべてを変えたんだ。
もうずっと遠い昔……でも、つい昨日のことのような気もする。

腕の中で身を固くしていたフランソワーズがふと力を抜くのがわかった。
ジョーはそっと彼女の手に包みを握らせ、再びベッドに座らせた。
彼女は、もう逆らわなかった。

ドアを閉めるとき「……わからないわ」とつぶやく声が微かに、しかし確かに聞こえた。
が、ジョーは振り返らなかった。

わからないかもしれない。
わからなくていい。
もし全てをわかってしまったら、君は僕から離れてしまうかもしれないから。

君はここにいなければいけない。
そうでなければ、僕は何も信じられない。

世界の美しさも、愛しさも。
それが守るべきものであるということも。

君がいなければ、何ひとつ、信じられないんだ。